2018年10月11日

特別シンポジウム「古川日出男、最初の20年」告知


12月1日、古川日出男さんのデビュー20周年記念イベントを、私の所属する明治大学の大学院プログラム・総合芸術系が主催となって開催いたします。場所は、都心からのアクセスのよい中野キャンパス。土曜日の午後をまるまる使ってのシンポジウムですので、どの時間からでも、お気軽にお立ち寄りください!

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特別シンポジウム 「古川日出男、最初の20年」

理工学研究科建築・都市学専攻<総合芸術系>では、今年、小説家デビュー20年を迎えた古川日出男をめぐるシンポジウムを開催いたします。彼の作品を追いつづけてきた批評家・翻訳者たちが一同に会し、古川文学の魅力を徹底的に解き明かします。

日時:2018年12月1日(土) 午後13時30分~18時(予定)
場所:明治大学中野キャンパス5階ホール
入場無料/予約不要

発表者
Gianluca Coci(トリノ大学)
Michael Emmerich(UCLA)
Doug Slaymaker(ケンタッキー大学)

小澤英実(東京学芸大学)
柴田元幸(東京大学)
島内景二(電気通信大学)
杉江扶美子(INALCO博士課程)
谷崎由依(小説家)
波戸岡景太(明治大学)

琵琶演奏 川嶋信子
映像作品 河合宏樹

古川日出男

司会 管啓次郎(明治大学)

主催:明治大学大学院 理工学研究科 建築・都市学専攻<総合芸術系>

2018年10月1日

ロッジ49の「原作」

先月のブログで、アメリカのドラマ「ロッジ49」を紹介しましたが、今回はその「原作」となるJim Gavinの小説集『ミドル・メン』についてです。ピンチョン(『ヴァインランド』『LAヴァイス』)やコーエン兄弟(『ビッグ・リボウスキ』)らが描いてきた「西海岸系ダメ男」を、もう少しだけ「リアル」にしてみせたといった感じの本作は、発売当時、まったくと言ってよいほど注目を集めませんでした。ですが、その「地味」さは、西海岸の生活を知る人の心を捉えて離しません。というわけで、今夏の「まさか!」のドラマ化を経た後の、全米、そして世界での評価が気になるところです。以下では、試みに、表題作の冒頭を拙訳で引用してみましたので、雰囲気だけでもお楽しみください!

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 少年の頃、マット・コステロはいつも不思議だった。毎朝どこかへ出かけていく父さんは、いったい何の仕事をしているのだろうと。父さんが何かを売っているというのは知っていたし、ガレージに積まれたパンフレットやカタログから察するに、それがトイレに関係しているらしいことも知っていた。でも、それはまったく冗談みたいで――トイレって!――、そんな仕事をしたがる人間がいること自体、マットには理解できなかったのだ。  

 数年後、大学がうまくいかなくなり就職を考え始めたマットは、ようやく父さんに、どうして配管業者になろうとしたのかと聞いた。一九六九年にヴェトナムから帰還したとき、とりあえず人生の目標と呼べるのは、エアコンの効いた職場で働くということだけだったからなぁ。父さんの口調は、いつもながらに穏やかで、ユーモラスだった。それで、希望通りの求人があったから応募して、雇われたのがトイレ業者の注文担当だったのさ。場所は、南ロサンゼルの工業地帯のあたりだったっけ。  
 
 そうやって選んだ先に待っていたのが、配管設備セールスマンとしての一生だなんて、運命のいたずらってのは笑えるな、とマットは思った。というか、そんなふうに思いながら、マットはバーテンをやったり、母校の高校でサッカーを教えたり、大学もちゃんと卒業しないままに、二十代を浪費したのだった。  
 
 そして、母さんが倒れた。マットは仕事を全部やめてアナハイムに帰ると、それからの一年は、化学療法に苦しむ母さんの世話をした。すでに母親を癌で亡くしている親友もいたから、心の準備はできていた。遅かれ早かれ、誰にでもそれは起きることなのだ。親友たちはみな、母親の死後を粛々と過ごしていて、その姿は感動的ですらあった。だから自分も、とマットは思い、彼らと同じストイック・クラブの一員となってやり過ごそうとしたのだけれど、いざ母さんが死んでしまうと、親友たちの生き方は何の参考にもならなかった。  
 
 性格のきつい母さんは、いつも無表情で、心の底から現実的だった。癌が脳に転移する前、母さんは自分の葬儀について綿密な計画を立てた。退場の際の賛美歌として「鷲の翼」を希望したり、棺桶に入るときのドレスを買って来るよう娘たちをJCペニーズ百貨店に走らせたりした。「派手すぎるのはいけないよ」と母さんは言った。  
 
 母さんが死んでしまい、苦しみと喪失感に襲われたマットは、それなりの見返りがあってもいいはずだと感じた。差し出される順番にはこだわらないけれど、神聖なる超越の瞬間が訪れたり、思いやりある美女が手を差し伸べてくれたり、それから、いくらかのまとまった金が手に入ったり……といったことを、彼は密かに期待していたのだ。けれど、三十歳にして彼は、一文無しになり、実家ぐらしだった。同じ家族でも本当にストイックな妹たちは、どちらも引越していき、ふたたび仕事を始めていた。  
 
 午後になると、からっぽの家に残されたマットは、プールサイドに座って、水が緑色になっていくのを見た。夜になり、父さんが寝てしまうと、母さんが使い残した鎮痛剤のバイコディンを大量に飲んで、ドラマ「ジ・オフィス」を何度も何度も観た。クリスマス・スペシャルの、ティムがデヴィッド・ブレントと飲みに行くんだと言うシーンには、観るたびに胸を締めつけられた。  
 
 もう十分すぎるくらいだった。葬儀から一ヶ月がたち、父さんがアイアス配管会社の上司であるジャック・イサハキアンに相談をすると、彼は、トイレ販売の職をマットに紹介してくれた。他にあてもないマットは、それに従った。あれから一年、いまや己の虚栄心と愚かさをしっかりとわきまえたマットは、コンプトンにあるアイアスの倉庫で、今日もセールス・ミーティングに参加している。(続く)

『ミライミライ』書評

学会誌『文学と環境』に、古川日出男さんの長編小説『ミライミライ』(新潮社、2018)の書評を寄稿しました。本作は、実験的なのに愛に溢れたいつもの古川節をいつも以上に堪能できる一冊です。ぜひ、ご一読ください!(下の画像をクリックすると、拡大されます)




2018年9月14日

週間読書人の書評

本日付の週間読書人に書評を寄稿しました。15日以降は、Web版も公開されるそうです。お時間のあるときに、ぜひ!(https://dokushojin.com/article.html?i=4240


2018年9月7日

「ロット」ではなく「ロッジ」49?

先月からアメリカで始まったドラマLodge 49のシーズン1が、とにかくすばらしい! ピンチョンの「ロット49」を強烈に意識しながらも、映画『インヒアレント・ヴァイス』以後をしっかりと見据えた、誠実な作品に仕上がっています。オンライン配信もあるので、日本でも全話視聴が可能です。秋の夜に、ぜひ!


2018年8月9日

哈爾濱フィールドワーク

中国は黒竜江省にある哈爾濱(ハルビン)に行ってきました。ここは昔からずっと気になっていた場所のひとつなのですが、ちょうど大学院の教え子である劉くんが哈爾濱出身ということもあって、この夏ついに訪問が実現。

劉くんは、日本語の達人なので、現地でも何不自由なくフィールドワークができました。特に、今回どうしても訪れたかったのが、「ハルビン市建築芸術館分館」。ここはかつてのユダヤ教シナゴーグです。

旧ユダヤ教新シナゴーグの内部

また、街の北側を流れる松花江も散策し、第二の目的である「亜道古魯布水岸餐庁」(1912年にオープンした旧東清ヨットクラブ)も無事に見つけることができました。現在はレストランになっている同館の展示コーナーには、この土地を生きたさまざまな人々(中国、ロシア、ユダヤ、日本)の写真や記録が飾られていました。

旧東清ヨットクラブの外観

そして、メインストリート「中央大街」から南へ10分ほど車を走らせたところにあるのが、黒竜江省博物館。



一見シンプルな入口の印象に比べて、建物の中はなかなかの広さです。哈爾濱におけるロシア文化の展示はとても力が入っていて、近現代・哈爾濱のスタートである、十九世紀末にこの地に敷かれた鉄道のイメージも強烈に印象に残りました。

劉くんが卒業したハルビン理工大学の校舎

鉄道と川と民族と。国際都市・哈爾濱を考える、その第一歩となる貴重な旅でした。

2018年7月20日

琵琶と文学、無事終了!

おかげさまで、「琵琶と文学:川嶋信子の世界」展、昨日無事に終了しました。展示、講演、それぞれにおいでくださった方、本当にありがとうございました。

さて、川嶋さんとの次回イベントは、今年12月1日に、明治大学中野キャンパスの大ホールで開催される、作家・古川日出男さんの作家生活20周年記念の舞台です。

この日は、国内外から著名な研究者・翻訳者・批評家たちが集まり、古川文学の過去と未来を見据えた、熱い議論がたたかわされる予定です。言葉と音楽と映像がとびかう記念イベント、どうぞご期待ください!

2018年6月4日

「琵琶と文学」展、今月下旬にスタート!

今年も明治大学生田キャンパスのギャラリーゼロにて、波戸岡研究室の特別展を行います。題して、「琵琶と文学:琵琶奏者・川嶋信子の世界」展。

伝説的琵琶奏者・鶴田錦史の流れをくむ川嶋さんは、平家物語、寺山修司、そしてシェイクスピアの文学世界を、琵琶の調べ/語りによって「現在」へと接続します。

展示は、川嶋信子の軌跡と、撮り下ろしミュージックビデオ(琵琶・川嶋版「ロミオとジュリエット」)映写。また、薩摩琵琶の実物や、平家物語の稀覯本、寺山修司全集、シェイクスピアの歴史的翻訳書なども展示します。

ぜひこの機会に、明治大学生田キャンパスに足をお運び下さい!


2018年5月12日

庭師を見るということ(エッセイ)

私の所属する大学院プログラム(総合芸術系)のための広報誌に、庭師をめぐるエッセイを寄稿しました。以下に全文転載しますので(図版の引用は本ブログ限定です)、お時間がありましたら、ぜひご一読ください。

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庭師(ガーデナー)を見るということ:モネ、オートクローム、原田マハ
波戸岡 景太

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淡いグレーのジャケットに白い帽子を被ったその男は、バラとゼラニウムが満開のガーデンに佇んで、ぼんやりとこちらを見やっている。頰から胸までを包む白髭は、まるでススキの穂のように空気をはらみ、彼をその庭の一部にしている。

一九二一年。晩年のクロード・モネは、ジヴェルニーにある自作の庭の小径に立ち、オートクローム技法のカラー写真に収まった。

二〇一八年。この文章を書いている私の傍らには、ガーデン批評家スティーヴン・アンダートンの労作『偉大なる庭師たちの生涯』(Lives of the Great Gardeners. Thames and Hudson, 2016、未訳)があり、モネのために割かれた一章の図版として、その写真は今、あらためてカラー印刷されている。

『偉大なる庭師たちの生涯』表紙

偉大なる画家にして、偉大なる庭師モネ。だが、写真に付されたキャプションには、存外シビアな評価が記されている。「モネのガーデニング・スタイルは、野性味溢れるロマンティシズムを所々に配しつつ、一方ではきっちりとしたフォーマルさを有する。ことデザインに関して、彼は革新的ではなかったのだ。」

革新的ではない、と言えば、この写真そのものもいたって凡庸だ。写真の中のモネは、美しいバラのスタンダード仕立ての列の前に、誇らしげに立っている。彼の右手には、シルバーブルーのグラスに縁取られた大きな花壇があって、濃いピンクのゼラニウムが咲きそろっている。そのこんもりとした頂きを押しやるように、ナスタチュームらしき蔓を絡ませた竹製のオベリスクは天に向かって頭を突き出し、その直線は、画面右奥に霞む屋敷の煙突とのあいだに素朴な遠近感を生み出している。

普通であれば、これはただの記録であり資料である。だが、私はこの写真に、他の記録写真が醸し出す、月日の堆積といったものを感じとることができない。モネがいる、ただそれだけで写真には歴史が刻印され、意味づけが行われるはずなのに、この一九二一年のジヴェルニーのガーデンに立つモネは、その明るい庭こそが「今」であり「ここ」であるという事実の他には、何ひとつ語りかけてこようとしない。

トリックは、実はとてもシンプルなものだった。カメラのピントが、モネの顔に合っていない。ただそれだけのことで、庭師はただの人影となったのだ。ピンボケという不測の事態は、この偉大なる画家/庭師をただの不明瞭な影に貶め、匿名化してしまった。だから、写真の中のモネは、あくまでもモネその人としてこちらを見やりながらも、その印象はひたすら、(冒頭に私が書いたように)「ぼんやり」している。

たとえば、彼をはじめからフレームの外に切り捨てた写真であれば、庭はその個性的な出自をあらわにしたかもしれない。そのとき、キャプションとして印刷された「Claude Monet」の文字列は、モネ本人が視覚的に不在であるがゆえに、逆説的にモネそのひとの存在感を前景化しただろう。

けれども、彼がただ不明瞭な場合はどうであったか。白帽と白髭に挟まれた、あの唯一無二の画家の相貌が、ピンボケという些細なミスによってうまく認識できない場合は。

そうしたとき、私たちにはきっと、中途半端な写りの庭師から視線を外し、庭を見るしか術がない。実のところ、撮影者はモネの代わりに、画面左下のゼラニウムに——正確には、その折り重なった葉が作り出す暗がりに、カメラのピントを合わせてしまっている。だから、庭よりもまず庭師モネを見たいと思う鑑賞者の視線はいとも容易に去(い)なされ、庭に、花に、そして光の当たらない「無」へと引きずられていく。そうやって、庭師というものは、庭にいながらにして忘却されていく。


きっと、庭師と庭の関係は、私たちが思うほどに単純なものではない。アンダートンは、「偉大なる庭師とは、空間設計の才と植栽の才が、幸福な融合を果たした存在である」と書いているけれど、幸福というものはどうしたって、時代や地域の違いによって、たえず異なるかたちを持つものだ。

想像してみよう。王侯貴族の生きた時代、祝福された才能の持ち主が目指すべきガーデンは、一も二もなく「秩序」の具現化であっただろう。しかし、秩序よりも規律が重視される息苦しい現代社会にあって、「偉大なる庭師」の代表とは、詩人イアン・ハミルトン・フィンレイのような前衛アーティストとなる。彼がみずからのガーデンに引用した、「現在の秩序は、未来の無秩序」という哲学者の言葉は、オーダーとディスオーダーのシンプルな二項対立を否定し、ノスタルジアと未来志向のいずれをも庭の理想とはしない。

フィンレイの庭の一部

あるいは、二〇世紀中庸のモダンな幸福を謳歌せんとしたアメリカ西海岸の中産階級にとって、庭師トーマス・チャーチの提示する簡潔な意外性と、写真映えするガーデン・デザインこそは憧れの的であった。だが、たとえチャーチという存在が、庭師としての幸福な融合を体現していたにせよ、消費者たる施主たちがその庭の真の可能性に気づくことはなかったはずだと、『見えない庭』(鹿島出版会、1997年)の著者、ピーター・ウォーカーとメラニー・サイモはもどかしげに指摘する。
チャーチは、移行する風景づくりの名人であった。しかしいったい何人の施主が、チャーチの意図したとおりに外の世界に目をむけたのであろうか? 彼らは、ただ何となく近所、町、都市、地域、そして地面、水、空を眺めたり考えたりするだけではなかったか?(佐々木葉二、宮城俊作訳)
時代を築いた「偉大なる庭師」たちの登場は、確かに、現代の都市生活者にとっても、「幸福」という言葉で祝福されるべき出来事であった。その空間設計と植栽の妙を、私たちは時に共有財産として、時に私有地の中にレプリカを作りながら享受する。


『見えない庭』表紙

だが、偉大であろうとなかろうと、庭師は庭師のままで、その庭の主になることはできない。庭師モネは、あくまでも画家モネの仕事場を用意するために存在したのであり、このジヴェルニーの真の主人が苦しみのうちにあるとき、庭師モネは彼の人生の裏方に徹するしかなかった。

思えば、あの写真が撮られた頃、画家モネは睡蓮装飾画をめぐる心的な疲労と、白内障という身体的な苦痛に苛まれていた。作家の原田マハは、モネの義理の娘にして画家の晩年を支えたブランシュを語り手に、当時のモネの姿をこんな具合に小説化している。
この一、二年は、睡蓮装飾画の一件がどう決着するか、そのことがモネを苦しめ続けた。悶々として絵筆がすすまないモネを、ブランシュは庭に連れ出し、木陰でお茶を飲み、花を眺め、木々の話をして慰めた。作品制作のために、ノルマンディーやルーアン、遠くはイタリアのヴェニスにまで、数えきれないほど旅をし続けたのがモネの人生だったのだが、〔妻の〕アリスと〔息子の〕ジャンを喪ってから、めっきり出かけなくなってしまった。そのかわりに、この世の森羅万象のすべてを持ちこもうと決意したかのように、ジヴェルニーの庭作りに精魂を傾けていた。心に憂いのあるとき、老いた巨匠を救ってくれるのは、庭の日だまりと、風に吹かれて揺れる花々と、ブランシュとともに囲む食卓だった。(『ジヴェルニーの食卓』集英社文庫、2015年)
原田が幻視するジヴェルニーの庭では、あの庭師モネの顔こそが鮮明に描き出されようとしている。なにしろ、小説の中で、「豊かな白ひげに埋もれた顔の表情は、晴れているのか曇っているのかわからない」とされるのは画家モネの方であり、さらには、失明の恐怖の瀬戸際にある老画家と、ジヴェルニーを見つけたばかりの血気盛んな庭師が、光というモチーフを介して、実に見事に対比されているのだ。
光だけが見えた、とモネは、再び絵筆を取り上げてからブランシュに語った。視力を失い、何も見えなくなるかもしれないという瀬戸際で、たゆたう光だけが見えたと。それがどんな光だったのか、ブランシュには到底わからない。おそらく、モネという画家だけが知り得た天上の光だったのだろう。けれど、とブランシュは思い出す。同じことを以前にも言ったことがあるのを、先生は忘れている。そう、この地—ジヴェルニーをみつけたとき、それはそれは興奮して、私たち家族に言ったのだ。
すばらしい土地をみつけたよ。そこには光が—光だけが見えたんだ。
 画家モネが、庭師モネを発見する時、そこに溢れていたのは、ただ光だけ。そして、その光を、今、この日本語を読んでいる私たちが感じられているのは、ひとえに、原田の描くブランシュが、単なるカメラの役割では終わっていないおかげである。晩年のモネとともに暮らしたこの女性は、「料理や家事、庭仕事の監督、帳簿の管理、モネの仕事のマネージメント」といった仕事を通して、庭師モネをサポートし、そうすることで画家モネを救った。ブランシュとは、いわばモネという一級の庭を維持し続けた、もうひとりの庭師だったのかもしれない。

小説『ジヴェルニーの食卓』表紙

大地にふりそそぐ光にかたちを与え、庭という場所を作り出す。それが庭師の仕事であるとするならば、その行為は、まぎれもなく芸術と呼ぶにふさわしい。だが、画家や作家とは異なって、庭師はなかなか、その相貌を、そのまなざしを鮮明にはしてくれない。なにしろ、庭に立つ庭師を見ることとは、みずからの作品に迷い込んでしまった作者を目撃してしまうことに他ならないからだ。

かくして、『偉大なる庭師たちの生涯』を閉じ、その裏表紙にふたたび印刷されていたあのモネの写真を眺めた私は、みずからの意識をゆっくりと、このジヴェルニーの庭から立ち去らんとする、老いた庭師のそれへと重ね合わせていくのだった。(2018.3)

2018年4月9日

新学期

新学期です。昨年度もいろいろ試みましたが、2018年度も、さまざまなプロジェクトが並走します。

1)ノベライゼーション論
*昨年刊行したアダプテーション論を、さらに前進させます。

2)ガーデナー論
*庭師という存在に注目した文化研究。英語の授業でも、ガーデナー関係の文献を読みます。

3)スーザン・ソンタグ研究
*ピンチョンの同時代人として、ソンタグの批評を再検証します。

4)平安から平成までの文学史
*明治理工の火曜日は、河出書房新社の日本文学全集を中心に講義をします。

5)琵琶と文学
*平家物語からラフカディオ・ハーンまで。ギャラリー展示を行います。

こんな感じです。
今年度もよろしくお願いいたします!