KEITA HATOOKA OFFICIAL BLOG
7/26/2025
立東舎コラム、最終回です。
3月にはじまった連載コラム「ネトフリで知るアメリカのリアル」も、今月がついに最終回です。毎月30枚(原稿用紙換算)ほど書かせていただきましたので、私自身、この5か月でずいぶんと視野が開け、思考も深まりました。
とはいえ、鍛えられたのは「書く力」よりも「観る力」の方かもしれません。なにしろ、今回の批評対象は個別の作品というよりも、「ネトフリ」という名のもとに提供される、驚異的な映像アーカイブそのものだったからです。
思い出すのは、かつて東京新聞で2年半ほど続けさせていただいた「ラノベのすゝめ」という連載記事。毎回、原稿用紙換算で1枚半程度のものでしたが、それでも対象となる作品は10巻以上というのもザラであり、関連作品のチェックとなると、読むべき本はどんどんと増えていくばかり。
今回も、ベトナム戦争関連のドキュメンタリー6時間、『イカゲーム3』6時間、『シスターズ』15時間、『ストレンジャー・シングス4』13時間、『サイコだけど大丈夫』20時間・・・と、なかなかのボリュームでした。
ちなみに、最終回のタイトルは「韓国ドラマとベトナム戦争 『イカゲーム』の完結が教えてくれるもの」。アメリカ資本の韓国ドラマが、いかにあの戦争に言及してきたかを考えます。お時間のある方は、ぜひご一読ください!
6/13/2025
5/21/2025
立東舎コラム、第3回です。
ウェブ連載「ネトフリで知るアメリカのリアル」も、いよいよ第3回に入りました。
今回のタイトルは「ソウルメイトを待ちながら:アメリカに暮らすユダヤ人たちの婚活と成人式事情」です。
ぜひご一読ください!
========以下、試し読み========
【連載】波戸岡景太『ネトフリで知る アメリカのリアル』
Ch.3 ソウルメイトを待ちながら:アメリカに暮らすユダヤ人たちの婚活と成人式事情
作品につきものの「邦題」が苦手な人は、きっと少なくないはずだ。ネットフリックスのコンテンツでも、『今ドキ!ユダヤ式婚活事情』(2023)や『バト・ミツバにはゼッタイ呼ばないから』(2023)といった日本語のタイトルを目にして、「おお、これはゼッタイ見なくては!」と期待値を上げる人が、いったいどれくらいいるだろう?
もちろん、凡庸で説明過多な邦題なくしては、私たちはなかなか自分の求めるコンテンツを見つけ出すことができない。ことに、独自のルールと特別な言語でかたち作られるユダヤ文化のようなテーマに挑むにあたっては、邦題はむしろベタなくらいでなければ気軽に再生ボタンをクリックすることもできないだろう。
そして結論から言ってしまえば、『今ドキ!ユダヤ式婚活事情』も『バト・ミツバにはゼッタイ呼ばないから』も、いずれも「見ておいてよかった!」と思える作品だった。アメリカ文学研究者という仕事柄、ユダヤ系の作家たちが物語るアメリカには親しんできたつもりだったが、ここまでカジュアルでかつまたナイーブなユダヤ事情を、私はまったく知らなかったのである。
(続きは本編で)
4/01/2024
新学期(移籍のお知らせ)
こんにちは。
いよいよ2024年度の始まりですね。
私は、17年間通った明治大学の生田キャンパスを離れ、本日より、法政大学の市ヶ谷キャンパスがホームとなります。
所属は、同大学文学部英文学科。
英米文学講義(今年度はポストモダン文学)や英米文学演習(今年度はアジア系アメリカ文学)などを担当します。
学生さんたちのキャンパスライフが少しでも充実するよう、私なりにできることをしていけたらと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2024年4月1日 波戸岡景太
1/13/2024
【ソンタグ本】朝日新聞、毎日新聞で紹介されました。
とても嬉しいことに、本日、朝日新聞と毎日新聞の両紙で、拙著『スーザン・ソンタグ』(集英社新書)の書評が掲載されました。評者の三牧聖子先生、橋爪大三郎先生、ありがとうございます。
・朝日新聞「好書好日」
https://twitter.com/BOOK_asahi_com/status/1745951994316263893
「『反解釈』『写真論』『他者の苦痛へのまなざし』等を著し、挑発的な議論を続けたスーザン・ソンタグは、今こそ顧みられるべき人物だ」(三牧聖子氏)・毎日新聞「今週の本棚」
https://twitter.com/mainichi_books/status/1746036436527452405
「スーザン・ソンタグは、半世紀ほど前に一世を風靡したアメリカの知識人。最先端の感性とひと筋縄で行かない思考回路をそなえている」(橋爪大三郎氏)1/04/2024
【新刊】Peter Lang社より共著が刊行されました。
- Part I Image
- 1 Snowflakes and Shadows: Giordano Bruno after Dick Higgins
- 2 The Grain of the Voice and the Materiality of the Digital Image in Alain Cavalier’s Irène (2009)
- 3 Intermedial Post-Romanticism: W. G. Sebald’s Ruins of Empire in Austerlitz (2001)
- Part II Music
- 4 The Imaginaire of Music and the Representation of Emotions in Lev Tolstoy’s Novel Childhood
- 5 Sound of Adaptation: Jaws (1975) and Psycho (1960)
- ‘Water Schools’
- Part III Language/Text
- 6 In-Between Languages, Words and Images: Yoko Tawada’s The Naked Eye
- 7 Image and Text in Multimodal Texts: Intermediality between Visual Images and Japanese Writing Systems
- Part IV Barthes
- 8 Roland Barthes’s Intermedial Practice of Life Writing: Collecting (Auto-)Biographemes, between Image and Text
- 9 Barthes’s Bunraku: An Intermedial Approach to Alterity
- Peter DayanAfterword: Barthes, Fortunately, Had Never Heard of What We Call Intermediality



