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庭師を見るということ(エッセイ)

私の所属する大学院プログラム(総合芸術系)のための広報誌に、庭師をめぐるエッセイを寄稿しました。以下に全文転載しますので(図版の引用は本ブログ限定です)、お時間がありましたら、ぜひご一読ください。

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庭師(ガーデナー)を見るということ:モネ、オートクローム、原田マハ
波戸岡 景太

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淡いグレーのジャケットに白い帽子を被ったその男は、バラとゼラニウムが満開のガーデンに佇んで、ぼんやりとこちらを見やっている。頰から胸までを包む白髭は、まるでススキの穂のように空気をはらみ、彼をその庭の一部にしている。

一九二一年。晩年のクロード・モネは、ジヴェルニーにある自作の庭の小径に立ち、オートクローム技法のカラー写真に収まった。

二〇一八年。この文章を書いている私の傍らには、ガーデン批評家スティーヴン・アンダートンの労作『偉大なる庭師たちの生涯』(Lives of the Great Gardeners. Thames and Hudson, 2016、未訳)があり、モネのために割かれた一章の図版として、その写真は今、あらためてカラー印刷されている。

『偉大なる庭師たちの生涯』表紙

偉大なる画家にして、偉大なる庭師モネ。だが、写真に付されたキャプションには、存外シビアな評価が記されている。「モネのガーデニング・スタイルは、野性味溢れるロマンティシズムを所々に配しつつ、一方ではきっちりとしたフォーマルさを有する。ことデザインに関して、彼は革新的ではなかったのだ。」

革新的ではない、と言えば、この写真そのものもいたって凡庸だ。写真の中のモネは、美しいバラのスタンダード仕立ての列の前に、誇らしげに立っている。彼の右手には、シルバーブルーのグラスに縁取られた大きな花壇があって、濃いピンクのゼラニウムが咲きそろっている。そのこんもりとした頂きを押しやるように、ナスタチュームらしき蔓を絡ませた竹製のオベリスクは天に向かって頭を突き出し、その直線は、画面右奥に霞む屋敷の煙突とのあいだに素朴な遠近感を生み出している。

普通であれば、これはただの記録であり資料である。だが、私はこの写真に、他の記録写真が醸し出す、月日の堆積といったものを感じとることができない。モネがいる、ただそれだけで写真には歴史が刻印され、意味づけが行われるはずなのに、この一九二一年のジヴェルニーのガーデンに立つモネは、その明るい庭こそが「今」であり「ここ」であるという事実の他には、何ひとつ語りかけてこようとしない。

トリックは、実はとてもシンプルなものだった。カメラのピントが、モネの顔に合っていない。ただそれだけのことで、庭師はただの人影となったのだ。ピンボケという不測の事態は、この偉大なる画家/庭師をただの不明瞭な影に貶め、匿名化してしまった。だから、写真の中のモネは、あくまでもモネその人としてこちらを見やりながらも、その印象はひたすら、(冒頭に私が書いたように)「ぼんやり」している。

たとえば、彼をはじめからフレームの外に切り捨てた写真であれば、庭はその個性的な出自をあらわにしたかもしれない。そのとき、キャプションとして印刷された「Claude Monet」の文字列は、モネ本人が視覚的に不在であるがゆえに、逆説的にモネそのひとの存在感を前景化しただろう。

けれども、彼がただ不明瞭な場合はどうであったか。白帽と白髭に挟まれた、あの唯一無二の画家の相貌が、ピンボケという些細なミスによってうまく認識できない場合は。

そうしたとき、私たちにはきっと、中途半端な写りの庭師から視線を外し、庭を見るしか術がない。実のところ、撮影者はモネの代わりに、画面左下のゼラニウムに——正確には、その折り重なった葉が作り出す暗がりに、カメラのピントを合わせてしまっている。だから、庭よりもまず庭師モネを見たいと思う鑑賞者の視線はいとも容易に去(い)なされ、庭に、花に、そして光の当たらない「無」へと引きずられていく。そうやって、庭師というものは、庭にいながらにして忘却されていく。


きっと、庭師と庭の関係は、私たちが思うほどに単純なものではない。アンダートンは、「偉大なる庭師とは、空間設計の才と植栽の才が、幸福な融合を果たした存在である」と書いているけれど、幸福というものはどうしたって、時代や地域の違いによって、たえず異なるかたちを持つものだ。

想像してみよう。王侯貴族の生きた時代、祝福された才能の持ち主が目指すべきガーデンは、一も二もなく「秩序」の具現化であっただろう。しかし、秩序よりも規律が重視される息苦しい現代社会にあって、「偉大なる庭師」の代表とは、詩人イアン・ハミルトン・フィンレイのような前衛アーティストとなる。彼がみずからのガーデンに引用した、「現在の秩序は、未来の無秩序」という哲学者の言葉は、オーダーとディスオーダーのシンプルな二項対立を否定し、ノスタルジアと未来志向のいずれをも庭の理想とはしない。

フィンレイの庭の一部

あるいは、二〇世紀中庸のモダンな幸福を謳歌せんとしたアメリカ西海岸の中産階級にとって、庭師トーマス・チャーチの提示する簡潔な意外性と、写真映えするガーデン・デザインこそは憧れの的であった。だが、たとえチャーチという存在が、庭師としての幸福な融合を体現していたにせよ、消費者たる施主たちがその庭の真の可能性に気づくことはなかったはずだと、『見えない庭』(鹿島出版会、1997年)の著者、ピーター・ウォーカーとメラニー・サイモはもどかしげに指摘する。
チャーチは、移行する風景づくりの名人であった。しかしいったい何人の施主が、チャーチの意図したとおりに外の世界に目をむけたのであろうか? 彼らは、ただ何となく近所、町、都市、地域、そして地面、水、空を眺めたり考えたりするだけではなかったか?(佐々木葉二、宮城俊作訳)
時代を築いた「偉大なる庭師」たちの登場は、確かに、現代の都市生活者にとっても、「幸福」という言葉で祝福されるべき出来事であった。その空間設計と植栽の妙を、私たちは時に共有財産として、時に私有地の中にレプリカを作りながら享受する。


『見えない庭』表紙

だが、偉大であろうとなかろうと、庭師は庭師のままで、その庭の主になることはできない。庭師モネは、あくまでも画家モネの仕事場を用意するために存在したのであり、このジヴェルニーの真の主人が苦しみのうちにあるとき、庭師モネは彼の人生の裏方に徹するしかなかった。

思えば、あの写真が撮られた頃、画家モネは睡蓮装飾画をめぐる心的な疲労と、白内障という身体的な苦痛に苛まれていた。作家の原田マハは、モネの義理の娘にして画家の晩年を支えたブランシュを語り手に、当時のモネの姿をこんな具合に小説化している。
この一、二年は、睡蓮装飾画の一件がどう決着するか、そのことがモネを苦しめ続けた。悶々として絵筆がすすまないモネを、ブランシュは庭に連れ出し、木陰でお茶を飲み、花を眺め、木々の話をして慰めた。作品制作のために、ノルマンディーやルーアン、遠くはイタリアのヴェニスにまで、数えきれないほど旅をし続けたのがモネの人生だったのだが、〔妻の〕アリスと〔息子の〕ジャンを喪ってから、めっきり出かけなくなってしまった。そのかわりに、この世の森羅万象のすべてを持ちこもうと決意したかのように、ジヴェルニーの庭作りに精魂を傾けていた。心に憂いのあるとき、老いた巨匠を救ってくれるのは、庭の日だまりと、風に吹かれて揺れる花々と、ブランシュとともに囲む食卓だった。(『ジヴェルニーの食卓』集英社文庫、2015年)
原田が幻視するジヴェルニーの庭では、あの庭師モネの顔こそが鮮明に描き出されようとしている。なにしろ、小説の中で、「豊かな白ひげに埋もれた顔の表情は、晴れているのか曇っているのかわからない」とされるのは画家モネの方であり、さらには、失明の恐怖の瀬戸際にある老画家と、ジヴェルニーを見つけたばかりの血気盛んな庭師が、光というモチーフを介して、実に見事に対比されているのだ。
光だけが見えた、とモネは、再び絵筆を取り上げてからブランシュに語った。視力を失い、何も見えなくなるかもしれないという瀬戸際で、たゆたう光だけが見えたと。それがどんな光だったのか、ブランシュには到底わからない。おそらく、モネという画家だけが知り得た天上の光だったのだろう。けれど、とブランシュは思い出す。同じことを以前にも言ったことがあるのを、先生は忘れている。そう、この地—ジヴェルニーをみつけたとき、それはそれは興奮して、私たち家族に言ったのだ。
すばらしい土地をみつけたよ。そこには光が—光だけが見えたんだ。
 画家モネが、庭師モネを発見する時、そこに溢れていたのは、ただ光だけ。そして、その光を、今、この日本語を読んでいる私たちが感じられているのは、ひとえに、原田の描くブランシュが、単なるカメラの役割では終わっていないおかげである。晩年のモネとともに暮らしたこの女性は、「料理や家事、庭仕事の監督、帳簿の管理、モネの仕事のマネージメント」といった仕事を通して、庭師モネをサポートし、そうすることで画家モネを救った。ブランシュとは、いわばモネという一級の庭を維持し続けた、もうひとりの庭師だったのかもしれない。

小説『ジヴェルニーの食卓』表紙

大地にふりそそぐ光にかたちを与え、庭という場所を作り出す。それが庭師の仕事であるとするならば、その行為は、まぎれもなく芸術と呼ぶにふさわしい。だが、画家や作家とは異なって、庭師はなかなか、その相貌を、そのまなざしを鮮明にはしてくれない。なにしろ、庭に立つ庭師を見ることとは、みずからの作品に迷い込んでしまった作者を目撃してしまうことに他ならないからだ。

かくして、『偉大なる庭師たちの生涯』を閉じ、その裏表紙にふたたび印刷されていたあのモネの写真を眺めた私は、みずからの意識をゆっくりと、このジヴェルニーの庭から立ち去らんとする、老いた庭師のそれへと重ね合わせていくのだった。(2018.3)