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明治大学・波戸岡景太の公式ブログです。主に、自身の研究成果や大学院(総合芸術系・波戸岡研究室)関連の情報をお知らせします。

10/01/2018

ロッジ49の「原作」

先月のブログで、アメリカのドラマ「ロッジ49」を紹介しましたが、今回はその「原作」となるJim Gavinの小説集『ミドル・メン』についてです。ピンチョン(『ヴァインランド』『LAヴァイス』)やコーエン兄弟(『ビッグ・リボウスキ』)らが描いてきた「西海岸系ダメ男」を、もう少しだけ「リアル」にしてみせたといった感じの本作は、発売当時、まったくと言ってよいほど注目を集めませんでした。ですが、その「地味」さは、西海岸の生活を知る人の心を捉えて離しません。というわけで、今夏の「まさか!」のドラマ化を経た後の、全米、そして世界での評価が気になるところです。以下では、試みに、表題作の冒頭を拙訳で引用してみましたので、雰囲気だけでもお楽しみください!

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 少年の頃、マット・コステロはいつも不思議だった。毎朝どこかへ出かけていく父さんは、いったい何の仕事をしているのだろうと。父さんが何かを売っているというのは知っていたし、ガレージに積まれたパンフレットやカタログから察するに、それがトイレに関係しているらしいことも知っていた。でも、それはまったく冗談みたいで――トイレって!――、そんな仕事をしたがる人間がいること自体、マットには理解できなかったのだ。  

 数年後、大学がうまくいかなくなり就職を考え始めたマットは、ようやく父さんに、どうして配管業者になろうとしたのかと聞いた。一九六九年にヴェトナムから帰還したとき、とりあえず人生の目標と呼べるのは、エアコンの効いた職場で働くということだけだったからなぁ。父さんの口調は、いつもながらに穏やかで、ユーモラスだった。それで、希望通りの求人があったから応募して、雇われたのがトイレ業者の注文担当だったのさ。場所は、南ロサンゼルの工業地帯のあたりだったっけ。  
 
 そうやって選んだ先に待っていたのが、配管設備セールスマンとしての一生だなんて、運命のいたずらってのは笑えるな、とマットは思った。というか、そんなふうに思いながら、マットはバーテンをやったり、母校の高校でサッカーを教えたり、大学もちゃんと卒業しないままに、二十代を浪費したのだった。  
 
 そして、母さんが倒れた。マットは仕事を全部やめてアナハイムに帰ると、それからの一年は、化学療法に苦しむ母さんの世話をした。すでに母親を癌で亡くしている親友もいたから、心の準備はできていた。遅かれ早かれ、誰にでもそれは起きることなのだ。親友たちはみな、母親の死後を粛々と過ごしていて、その姿は感動的ですらあった。だから自分も、とマットは思い、彼らと同じストイック・クラブの一員となってやり過ごそうとしたのだけれど、いざ母さんが死んでしまうと、親友たちの生き方は何の参考にもならなかった。  
 
 性格のきつい母さんは、いつも無表情で、心の底から現実的だった。癌が脳に転移する前、母さんは自分の葬儀について綿密な計画を立てた。退場の際の賛美歌として「鷲の翼」を希望したり、棺桶に入るときのドレスを買って来るよう娘たちをJCペニーズ百貨店に走らせたりした。「派手すぎるのはいけないよ」と母さんは言った。  
 
 母さんが死んでしまい、苦しみと喪失感に襲われたマットは、それなりの見返りがあってもいいはずだと感じた。差し出される順番にはこだわらないけれど、神聖なる超越の瞬間が訪れたり、思いやりある美女が手を差し伸べてくれたり、それから、いくらかのまとまった金が手に入ったり……といったことを、彼は密かに期待していたのだ。けれど、三十歳にして彼は、一文無しになり、実家ぐらしだった。同じ家族でも本当にストイックな妹たちは、どちらも引越していき、ふたたび仕事を始めていた。  
 
 午後になると、からっぽの家に残されたマットは、プールサイドに座って、水が緑色になっていくのを見た。夜になり、父さんが寝てしまうと、母さんが使い残した鎮痛剤のバイコディンを大量に飲んで、ドラマ「ジ・オフィス」を何度も何度も観た。クリスマス・スペシャルの、ティムがデヴィッド・ブレントと飲みに行くんだと言うシーンには、観るたびに胸を締めつけられた。  
 
 もう十分すぎるくらいだった。葬儀から一ヶ月がたち、父さんがアイアス配管会社の上司であるジャック・イサハキアンに相談をすると、彼は、トイレ販売の職をマットに紹介してくれた。他にあてもないマットは、それに従った。あれから一年、いまや己の虚栄心と愚かさをしっかりとわきまえたマットは、コンプトンにあるアイアスの倉庫で、今日もセールス・ミーティングに参加している。(続く)